最近、実家の荷物整理をする機会があり、その際、昔読んだ本をパラパラ懐かしく
見直していると、夢中になった作家を一人、おせっかいにも、他人にも紹介
したくなりなりました。ただよく言われるように「本とは出会い」です。これも
出会いの一つとして、参考にして頂ければ幸いです。
私の好きな作家に近藤紘一という方がいます。産経新聞の記者で、40代でなくなられて、
すでに何十年もたちます。私が東南アジアを旅行していた昔、カンボジアの安宿で彼の本
と初めて出会いました。
ベトナム戦争最中のサイゴン(現ホーチミン)に赴任し、そこでの暮らしと激化する戦争の
実情をリポートあるいはエッセイ化したものです。彼は南ベトナム陥落まで現地に残っていた
数少ないジャーナリストの一人でした。
彼の特異なところは、実は赴任後ベトナム人女性(ナウさん)と結婚し、彼女の連れ子(ミーユンゃん)
を引き取り、ベトナム人家族の一員という特別な視点を獲得して発信したところでした。
「サイゴンの一番長い日」で注目を集め、「サイゴンから来た妻と娘」で大宅壮一ノンフィクション賞
を受賞します。その後ナウさんとミーユンちゃんを暖かくみつめたエッセイを定期的に発表していきます。
私が魅かれた点はもちろん、彼の異国生まれの妻と娘に向ける優しい目や愛情でもあったのですが、もう一つは彼が若くして経験したある取り返しのつかない体験からくる諦念の感覚です。
彼はナウさんと結婚する前、実は大学を出てすぐ結婚した同じ年の最愛の女性がいました。しかし彼女を
赴任先のパリで失います。詳細には記されませんが、彼女がパリで通い始めた大学院での研究や家事などで忙殺を極めた結果、完璧主義者だった彼女を追い詰めて死に追いやったようなのです。
彼女を失った彼は、十字架を背負うことになります。そして『僕は一生"義"の側には立てない人間』
『すべての義、不義の判断を放棄し、観察に徹する』といった自己に枷を課していくようになります。
彼の著書を読んでいると、時折その最愛の女性との思い出がまさにフラッシュバックのように挿入され、
彼が抱えているものがいかに深く、消しがたいもなのか、伝わって来ます。
その中で、私が忘れられない一節があります。
音痴を恥ずかしがって決して人前では歌わなかった彼女が鼻歌を歌っている描写です。
『その時、君は、誰もまわりにいないと思って、一人でそっと歌っていた。歌声は小さく、何のメロディーか
聞きとれないほど、遠慮がちだった。ドアのうしろにかくれて、僕は音をたてずに君の歌声を聞いた。
そして、少しでも長く君が歌っていたらいい、と思った。』